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That's Japanシリーズ

こんな国は捨てよう

こんな国は捨てよう

宮崎学 著

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価格 750円(本体価格)+税 
ISBN 978-4901391-24-5
発売日 2002/10
ページ数 88ページ
版型 A5変形判 ソフトカバー
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概要

あの“突破者”が世界を射程に入れて過激に発信。日本はどうなる

政・官・財、そしてアウトロー……日本の支配構造が分からないと、この国の実相は見えないと断言できる。バブルの高揚と崩壊は、はからずもこの構図を白日のもとに曝してくれた。アウトローは、深い傷を負い、地下に潜った。
戦後の日本は、この変わることのないパワーゲームの繰り返しに見える。なぜか? そして、なぜ、この構図は不変なのか?  「突破者」 は深いため息とともにアジアという一縷の光を見ている。アジアの価値と信頼をベースに、この国の生き様を再構築していこうという固い意志が見える。

目次

バブルその後——変わらぬ政・官・財・闇のシステム

アメリカの戦略がどこにあるかを見抜け
バブルはいまも続いている
バブルの戦犯は誰か
バブルにメリットを見い出した連中
銀行の逸脱した「事業計画」
マネーゲームに翻弄された人々
バブルの熱狂は日本人の本質を変えた
消費社会が行き着く先の人間の習性
マニュアル社会がバブルを生む
リスクヘッジとしてのアウトロー
アメリカの戦略に踊らされる日本
アウトローと表裏一体の金融機関
アウトローの実力を侮ってはいけない
アウトローも一般人も、同じ日本というシステム下に生きている
先を見誤った暴対法
アウトローが権力を補完する
本質をぼかすマスコミの「正義」
責任不在の不良債権処理
中坊公平的「正義」
自己保身に走る官僚の卑しさ
滅びを待つ日本人

こんな国は捨てよう

民衆の意識と対峙するという普遍性
原理主義的発想の危うさ
「熱狂」こそ疑え
「被害者」ぶった正義はやめよう
いまの日本は「売り」だ
社会的な混乱こそ成り上がりのチャンス
アジアの一員として日米関係を見直す
アメリカの[熱狂]は危ない
アジアで賽の河原の石積みをする
沈黙する人々の心情を見抜け

書評・感想

話し言葉の読みやすさ−シリーズ「ザッツ・ジャパン」の刊行の意味−

(『週刊読書人』清水光雄氏=『毎日新聞』中部本社編集局長 2002年11月8日)
「失われた10年」に代表されるように、日本の危機とその間の無為無策については、我々メディアを担う業界でも主要なテーマである。新聞であるならば社説で、インタビュー記事で、わが毎日新聞ならでは「記者の目」で、そしてテレビならば週末の討論番組で取り組んでいる。しかし、新聞では紙幅の制限、テレビでは時間の制限がある。どこか断片的で、腹にストンと落ちないところがある。一方、学者、識者が書く出版物では時日がかかりすぎて、いまの世の中のスピードにはついて行けない。その点、「いま そこにある危機」を解明しようとした今シリーズは時宣を得たものと言える。
 例えば「002 中国から日本が見える」。アジアの隣人、中国とどう付き合うか。21世紀の日本の最大の課題であり、ことに今年は日中国交正常化30周年の節目の年で類書が花盛り、メディアも各紙がこぞって取り上げてきた。その中でこの矢吹晋横浜市立大教授インタビューは「社会主義市場経済とは何ぞや」というそもそもの質問に始まり、解読が一気に進む。無論、矢吹教授の長年のチャイナ・ウオッチャーとしての成果 なのであろうが、「市場主義は資本主義ですから、社会主義市場経済というのを真に受けてはいけません」と一刀両断。その証左として「たとえば深せんや上海に証券市場を作ったのは、国有企業を民営化しようとしているからです。労働に対してだけ賃金を分配するのではなく、資本に対する配当を認め、財産所得を認めるということで、彼等は資本主義原理そのものをやっている」。ここから始まるのであれば、中国はとても分かりやすい。根本的経済は我々と同じシステムで動いているわけだから、比較はしやすい。したがって、その後に続く矢吹中国論はいちいちうなづけるものが多い。
 聞きにくい質問を繰り出して本音を引き出しているところも魅力だ。「001 報道は欠陥商品と疑え」。鳥越後太郎氏のテレビ番組「ザ・スクープ」はこの九月で打ち切りとなった。彼の悔しさを聞き出し「テレビは基本的に娯楽と報道という二つの柱で成り立っています。でも人間は気楽に生きていきたいというのがあり、娯楽の方に引っ張られてるのです。日本は景気が悪いので、金が掛かる報道番組より、娯楽番組となる」と語る。また別 の場面で、テレビは総務省を通じて放送法や放送事業者設置法という法律に縛られ、監督官庁の免許制になっており、何かの時に免許取り消しをちらつかせられ、国家権力に無茶なことはできないシステムになっている、とテレビ報道が持つ脆弱さを語らせる。政治の干渉が報道番組だけではなく娯楽番組にも及ぶ事は、1960年代の人気番組「夢で会いましょう」が5年で打ち切られた原因を川口幹夫前NHK会長が「番組中のコントの政治や社会風刺が、政府に嫌われた。“テレビごときに言われたくない”という事だったのでしょう」と語った証言にも表れている(02年10月6日毎日新聞日曜版)。
 また今年前半の国会で問題になった「メディア3法案」は新聞にも監督官庁を置こうとしたところ最も問題点があった事が分かる。
 さて、我々が今一番知りたいのは、シリーズのうたい文句にもあるように「日本を元気にする」処方箋である。この点については「003 こんな国は捨てよう」で作家の宮崎学氏が「構造改革といっても所詮は一種の力学で行われ、郵政民営化を言う小泉首相も結局財務族で、郵政の金を銀行が取りたいから言ってるだけ。それを言えないのは国民的熱狂があるわけで、(中略)そうした国民は滅びるしかない」と語るように、危機の深さが際立つ指摘は分かるが、はっきりした処方箋は見えない。
 ただ、宮崎氏は「結局は日本だってアジアの中の一部分です。アジアなのかアメリカなのか、どっちにいると決めなければいけない」とアジア志向を示唆。矢吹氏は日本企業の中国進出で失敗した、と言われるケースを引き合いに出し、失敗した典型はバブル期に無理な貸出しを図った銀行と何の準備もなく出た中小企業であり、逆に成功した企業は黙っていると言い、中国進出は経済活性化につながると語る。さらに「アジアでできるものは全部輸入し、そこで余る労働力は基幹産業での技術開発、設備投資に当てよう」と大胆に提言。二人とも大きな方向性としてアジアシフトを一つの切り札と見ているようだ。
 しかし、いずれにせよ「日本は総中流になった。一方、中国は底辺に貧しい人がいて、恵まれた中産階級がいて、みんなが“明日は私も中産階級”と必死になってお金を貯めたり働いている。戦後復興から高度成長の日本の明るさと同じ。日本はその辺が実に不透明。リストラで失業したらどうしようか、老後はどうなるのか、と言う不安だけがあって、あらゆることが後ろ向きになっている」という矢吹氏の指摘が根本にあるようだ。「働けば明日が確実に良くなる」と戦後の価値観の喪失こそが、そして新たな価値観の構築が出来ていない事が今の危機なのである。出版の意図はそこにあるのかもしれない。迂遠ではあるが、厳しい自己認識こそが新たな処方箋作りの第一歩だろう。今後のラインアップに期待したい。