人文・社会
概要
本書は自叙伝であるが、それとともに
すでに亡くなられた多くの先輩たちや友人たちへの追悼録でもある。
第一エッセイ集「わが「医」を得たり」では、“よど号ハイジャック"と“ダッカハイジャック"という二度のハイジャックに、著者が期せずして遭遇したという体験記が読み物の中心だった。日本が関係するたった2度のハイジャックに2回とも巻き込まれ、特にダッカハイジャックでは134時間にわたって機内で犯人と生活? を共にするという体験をしている。その時の著者の行動には、医師としての矜持とともに、人間としてのやさしさがあふれていた。
そして第二作。本書では、著者のふるさとである糸魚川のことや、慈恵医大の医局時代、日本航空の勤務医、数々の旅行のことなどが、綺羅星の如く散りばめられている。そしてそこには、昭和という時代の色彩と空気が色濃く漂っており、まさに時代を映し出す鏡としての役割も果たしている。
ところで本書のタイトルとなっている「いつかある日」というのは、当時の“山男"たちが、そして著者が“歌声喫茶"でよく唄った歌のタイトルだが、そのタイトルを巡っても時代を反映したドラマがあり、そのことも本書で語られている。そのドラマは、きっと今の時代にはそぐわない些末なことかもしれないが、著者を含めて周囲の人たちは極めて必死なのだ。そしてそれが、“時代"というものを表徴しているのかもしれない。ただし、それはノスタルジーであってはならない、ということから“いつかある日"なのである。 著者は1934(昭和9)年生まれということで、御年88歳になる。したがい、本書は自叙伝であるが、それとともにすでに亡くなられた多くの先輩たちや友人たちへの追悼録でもある。
穂苅正臣 プロフィール
昭和9(1934)年、新潟県糸魚川で生まれる。昭和29年慈恵会医科大学卒業後、慈恵医大の内科で医局生活。昭和48年から日本航空の勤務医を60歳定年まで勤め、その後、三菱養和会スポーツクラブに勤務。平成25年からアムス丸の内パレスビルクリニック院長、平成30年に引退し、現在は友人の病院で月2回診察勤務。ゴルフ、麻雀、車の運転は今でも欠かさず。