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That's Japanシリーズ

引きこもりを恐れず

引きこもりを恐れず

高岡健 著

価格 750円(本体価格)+税 
ISBN 978-4901391-38-2
発売日 2003/09
ページ数 120ページ
版型 A5変形 ソフトカバー
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概要

少年犯罪やネット心中など、青少年が抱える問題を正確にキャッチ!!

世間を騒がせた「一七歳」「一四歳」、そして最近は「一二歳」と子どもたちの引き起こす事件が止まらない。いったい何が彼らを駆り立てているのだろう? 「普通 の家」の「普通の子ども」が、ある日突然、「キレる」「いじめる」「こもる」のだろうか? それとも、事件を起こす子どもに精神的な疾患があるのだろうか?
社会が大きく様変わりしているのに、この先どこに向かっていくのかわからない不安や苛立ち。大人たちは自信をなくし、求められる「自己責任」に戸惑い、人との関係が閉じていく。子どもたちは、そうした家庭や社会の変化に敏感に反応する。著者は数少ない児童精神医学の専門家として、日々子どもたちの声に耳を傾けている。
被害者も加害者も瞬時に入れ替わる子ども社会の危うさにどう向き合うのか、背後にどんな原因があるのかを「引きこもり」をキーワードに解き明かす。

高岡健(児童精神科医 岐阜大学医学部助教授)

1953年徳島県生まれ。岐阜大学医学部卒業。岐阜赤十字病院精神科部長などを経て現在、岐阜大学医学部助教授。日本児童青年精神医学会理事。専門は児童精神医学、総合病院精神医学、精神病理学。精神鑑定についても造詣が深い。不登校や引きこもりを一貫して擁護する立場から論陣を張る。著書に『孤立を恐れるな! もう一つの一七歳論』 『学校の崩壊』(ともに批評社)、『人格障害論の虚像』(雲母書房)などがある。

目次

引きこもりの「リアル」は社会に通じている

「引きこもり」という現象と定義
「小さな」引きこもりと「大きな」引きこもり
引きこもりは、「引きこもりだ」と定義することから生じる
引きこもりの「期間」に意味がある
「男の子」の引きこもり、「女の子」の引きこもり
「子どもの意志」をいちど疑ってみる
引きこもりの「引き出し」は無責任行為だ
価値が認められずに追いつめられている
社会へのかかわり方には、多くの選択肢がある
引きこもりを保証するにはお金がいる
一七歳と四九歳をセットで考える
親世代がアイデンティティを喪失している
人間は、たった一つの理由では死なない
「夢」も「不安」も語れない時代
幸せな家族を演じる苦痛
六〇年代後半から起こる子どもたちの反乱
子どもに伝えるものがない、方法もない
学校が社会の変化に適応できない
不登校、引きこもりを徹底して擁護できるか
日本の学校崩壊はまだ「ぬるい」
欧米では、非行が自殺抑止のクッション役を果たしている
「小さな国家」論の背景にあるもの
日本でも間違いなく鬱病が増える
「えひめ丸事件」での国と被害者の対応の違い
当事者じゃないと見えにくいものがある
日常と非日常は、いつでも入れ替わる

引きこもりの「心」を読む

理想の時間をめざす「ネット心中」
理想の「家族」らしさ、「幸せ」らしさ
永続を断念した人々の群れ
「ナナメの関係」が自分を取り戻す契機となる
競争や上下関係から遠いほどいい
引き出すのではなく、後ろからついていく
子どもには楽観主義で向きあう
精神科医の立脚点はどこにあるべきか
人は「生産」だけに生きるのではない
一種の文化が立ち上がる可能性がある
引きこもりと鬱の関係
「脳」ではなく「心」が問題だ
「何もしないこと」が重要なときもある
家庭内暴力に耐えてまで同居する必要はない
心の問題を物質の問題としてとらえる傾向
「メンタルヘルス」という概念がある
回復とは、自分の満足する道を選んでいること
引きこもりは、親にも子にも大切な時期である

書評・感想

教えて示すのではなく見守るのが鉄則

(岐阜新聞 2003年10月17日)
 全国でも数少ない児童精神科医で岐阜大学医学部助教授の高岡健さん(50)が、子どもたちと向き合って解き明かしてきた事柄をまとめた「引きこもりを恐れず」(ウェイツ刊、縦二十三センチ、横十二・八センチ、百十八ページ、七百五十円)が発行され、反響を呼んでいる。
 高岡さんは、引きこもりから急いで引き出された子どもが「やっとの思いで踏み出したが、不安で仕方ない」と、深く傷ついている状況に何度も出くわした。
 その体験から、「無理に引き出すことは、引きこもっていた子どもを二重に駄 目な人間だと意味付けてしまう。引きこもりや不登校を否定的にとらえることこそが問題」と分析。「引きこもりは、悪いことでも「一刻も早く脱出すぺきでもなく、ちょっとさぼる事も含めて、広い意味の引きこもりは誰の人生にも必要。子どもも大人も、ゆったり十分別 きこめる環境が必要」と主張する。
 同書は、こうした持論をインタビュー形式で分かりやすくまとめている。「引きこもりのリアルは社会に通 じている」と題して、子どもたちの不登校を含めた一時的な引きこもりは、緊張と弛緩(しかん)のバランスを取るために必要であり、引きこもりから無理に引き出すことは、集団性を重んじる学校や社会の中へ、子どもたちを放り出すと指摘。そこから、社会や学校の持つ問題点に言及し、引きこもりの本質を見直すことが大きな社会の在り方を探ることになると訴える。
 また、「引きこもりの心を読む」と題し、引きこもりの子どもたちの前に立って教え示すのでなく、後ろに立ってどうなるんだろうと楽しみに見守ることが鉄則と提言。
 精神科への入院治療や対症療法のみの投薬を否定し、“引きこもりは新しい生き方を自らの力で獲得する道程”だとまとめている。

「引きこもりを恐れず」(高岡健著)を読んで

不登校の子を持つ親として、初めて気付くことが出来た本でした。今まで、引きこもり体験、不登校体験、専門の先生の本、テレビでの放送などを見ても、全く自分の中に考え方として理解していてもしっくりこないものばかりでした。この本に出会えて、どうしてこんなに自分が苦しかったのか、親として苦しかったのか気付くことが出来ました。そして、子どもにあやまりました。(沖縄県 47歳女性)
高校に入ったばかりの子どもが不登校になり、悩んでいましたが、本書に「引きこもりの子どもを育てたことは、能力のある子どもを育てたこと」という記述があり、少し安心というか、自信がもてました。「何をやっても、なかなか改善しないので、何もしないことだ」というのも、まったくそのとおりだと思いました。私も自分のために時間を思いきり使おう、という気持ちに改めて思い直しました。(愛知県・男性)
「引きこもりの子どもを育てたということは、能力のある子どもを育てたということ」ということばに勇気づけられました。「引き出すのではなく後ろからついてゆく」本当にそのとおりです。親も息子(27歳)もつらい日々を送ってきました。この本を読んで気分がとても楽になりました。(岐阜県 58歳女性)
精神医学が、文化社会的基盤を忘れ、「個人の病理」にばかり注目し「脳の機能障害→薬物治療」あるいは「カウンセリング」を治療のすべてととらえている現在、インパクトのある提言であると思います。(北海道 49歳男性)
新自由主義に対する批判の視点がよい。経済学者による新自由主義批判というのは、なかなかこのような心理学的見方をすることができない。資本主義の強大化と、科学主義的唯物論(マルクス主義のではなく、何でも大脳、何でもDNAという、例のやつです)のまんえんに対して、考えられる人は、一人一人が考えて行かなくてはならない、これが、私の本当の「職業」であると思っている。つきなみな言い方だが、高岡氏にもがんばってもらいたい。(岐阜県 24歳男性)